ハローキティ 誕生の歴史
キャラクターとしての開発は1974年で、公式にはこの年がバースイヤーになっているが、初号グッズの販売は1975年3月である。最初のグッズはビニール製のガマ口(商品名はプチパース)で、当時の定価は240円だった。以前はサンリオ社内にも現存しなかった。しかし、使用していた顧客がサンリオに所持していたプチパースを寄付したため社内に1個のみ現存し、展示されている。寄付品を元に再設計が行われ、初号グッズは1度だけ限定で復刻販売された。
最初期は名がなく、1974年から1975年はじめまでは暫定的に「名前のない白い子猫」などと呼ばれ、その後『鏡の国のアリス』に登場する白い子猫にちなみ「キティ」という名が付けられた。キャラクター名の姓の部分「ホワイト」は、後の設定変更で付け加えられたもので、初期の設定ではキティには姓はない、もしくは非公開とされているものもある。
初期のグッズに描かれたキティは座ったポーズを取っているものしかなかったが、1977年に初めて立ったポーズのグッズが発売された。
2004年7月8日、若い女性の間でのペットブームを背景として、キティが飼っているネコとハムスターという設定のキャラクター、チャーミー・キティとシュガーが発表され、翌年にはチャーミーの妹のハニー・キュートが発表された。キティは擬人化されているとはいえ、猫が猫を飼っているということになる。なおサンリオではチャーミーはキティとは独立したキャラクターとして位置づけられている。チャーミー等が「飼い主」であるキティと同じ商品に登場することはほとんどないが、『いちご新聞』2004年11月号(441号)の表紙でキティとチャーミーが一緒に登場している。「子猫が子猫を飼う」という設定は一見奇異に見えるが、ミッキーマウスの「イヌを友人に持つネズミがイヌを飼う」という設定に代表されるように、擬人化という手法においては一般的なものである。ただし慣れない者は違和感を感じる事がある。
1993年、キティの幼少期という設定のシリーズ「ベビーキティ」でキティのボーイフレンドのダニエルが初登場。1999年に成長した姿が登場した。1999年以降、ディアダニエル(Dear
Daniel)として、独自の展開が行われている。
1998年には、キティの友達のキャシーの姉という設定の「デイジー」と、同じくキティの友達のトーマスのいとこという設定の「コロ」のキャラクター、「デイジー&コロ」(Daisy
& Coro)が発表され、同年9月からキティとは別に商品展開を開始した。
キティは、ユニセフ関連の役職に日本国内限定のものも含め、過去3回就いている。1度目は1983年、米ユニセフのジュニア・アンバサダー(子供大使)に任命された。2度目は1994年、日本ユニセフ協会の子供親善使節に任命された。3度目は2004年、期間限定でユニセフの、「子供たちの特別な友達」に任命された(サンリオでは親善大使と表記。期間限定のため、期日満了の2004年11月1日に退任)。
2004年7月31日から、ハローキティ30周年を記念してハローキティをモチーフにした作品の展覧会KITTY EX.(キティ・エックス)が全国各地の会場で開催されている。
ハローキティ ブームの裏話
1996年、華原朋美がテレビ番組でハローキティ好きを公言したことから女子高生・女子中学生の間でブームとなり、このことでハローキティの人気が復活したと一部メディアで報じられたが、実際にはハローキティは常時サンリオのキャラクターの中で最も生産グッズの多いキャラクターであり、それは1995年頃もほとんど変わりはなかった。
実際にキティの人気が最も低迷していたのは1970年代末頃のことである(当時、キティは「懐かしのキャラクター」と化しつつあるほど人気が無くなっていた)。てこ入れのためにデザイナーが山口裕子に変更され、山口は全国各地でキティの絵を描くサイン会を開く、毎年柄を変える、季節により変える、グッズの対象年齢によってデザインを変えるなどのさまざまな工夫を凝らし、売り上げ上位を保持し続けた。
確かに1996年頃にキティブームと呼ばれるブームが起きており、1990年代後半頃、サンリオの収益の7割近くをハローキティのライセンシング・キャラクターグッズ売上が占めていたというデータもあるが、それが華原朋美に由来するのか、それ以前からあったのかについては明確な研究がない。が、1997年、華原朋美の影響による効果をサンリオ社長が認める発言もしていた。ちなみにサンリオは当時、ブームになると後にすたれやすいという理由で、ブームを歓迎しなかった。このキティブームはサンリオの業績アップに大いに貢献したが、2000年頃には沈静化する。
なお、このときのブームほど話題にはならなかったものの、キティブームは1977年頃、1985年頃にも起こっている。